創価学会や日蓮正宗では、御本尊を写真に撮る行為はご不敬にあたるとして禁止されています。しかし、この写真をご覧ください。
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 写っているのは昭和26年5月3日、戸田会長が会長就任式の席上で発願し、同19日に日昇上人が顕された〝大法弘通慈折広宣流布大願成就〟創価学会常住御本尊です。戸田先生の姿は一目瞭然ですが、左側のうつむいている刈り上げの青年は、若き日の池田会長です。この写真は昭和33年2月の『大白蓮華』81号に掲載されていた写真です。更に、もう一枚
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 こちらは『富士宗学要集』に載る御本尊の写真です。この巻頭グラビアには、日興上人筆を含めて全部で13枚の御本尊の写真が載っています。編集兼発行人は、堀日亨上人です。この当時は、学会も宗門側も「御本尊を写真に撮ってはいけない」ということはなかったのです。では、どうしてそのような指導がなされるようになったのか。その発端は、明治44年11月10日、報知社より発行された熊田葦城著の『日蓮上人』にさかのぼります。この『日蓮上人』は、驚くことになんと一閻浮提総与の大御本尊、〝戒壇の大御本尊〟の写真が掲載されていた本なのです。
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 写真は、御宝蔵に御安置されていた大御本尊を、数メートルの至近距離から撮影したもので、縦10.3センチ、横7.3センチの大きさで掲載されています。熊田葦城著のこの『日蓮上人』は、明治44年、『報知新聞』に連載されていたものです。執筆当時、熊田氏は浄土宗の信者でしたが、この『日蓮上人』と題する伝記を著した事が縁となり、後に日蓮正宗に入信し、現在の品川区にある妙光寺の信徒になっています。写真の下の解説文には次の様に書かれています。

 「これ日蓮上人より日興上人に傳へられたる本門戒壇の大本尊なり丈四尺六寸餘幅二尺一寸餘の楠材にして日蓮上人の眞筆に係り日法上人之を彫刻す今富士大石寺に寶藏す由井一乗居士特に寄贈せらる」

 解説文によれば、「由井一乗」という人物が、この大御本尊の写真を熊田氏に渡したということです。「由井一乗」は当時の宗門の大講頭であった由井幸吉氏です。由井幸吉氏の折伏により熊田氏は日蓮正宗に入信しています。

 そして、昭和に入って一冊の本が世に出回った。昭和31年に多摩書房から出版された安永弁哲著『板本尊偽作論 -日蓮正宗と創価学会の実態- 』という本である。これを書いた安永弁哲なる人物は、日蓮宗の僧侶にしてもと立正大学の教授で、著書の中で戒壇の御本尊が偽作であることを述べています。その反論書として当時宗門の総監に就任していた細井精道氏(後の日達上人)が日蓮正宗布教会より「悪書『板本尊偽作論』を粉砕す」を昭和31年9月30日に発行。次の文章はその中からの抜粋です。

 他山(他の日蓮宗寺院)では、進んで写真に出して宣伝しているのに大石寺ではしないという。此れも写真に出して何の効があるか。安永君は熊田葦城氏の『日蓮上人』の初版に掲載されているというが、此れは某信徒(由井幸吉氏)が葦城氏と相談して写真を出したならば世間に知らしめて非常に効果があると考えて大石寺に願ってやったことである。しかるに効果どころか、甚だ面白くない結果となったので、その掲載を禁止したのである。その悪い結果とは、此の写真を複写して本尊に売買する者があらわれ、或は偽作するものがあるとかいう事であった。

 こういった経緯があった後に日達上人は、昭和34年、第66世法主にご登座されています。そして猊下となった日達上人が法主の立場で、御本尊を写真に撮る行為を禁止されたのだと思います。日達上人は当時教学部長にあった日顕上人にその真意を調査させてもおりますが、その調査結果が昨今になって「河辺メモ」として世に流出しています。